筒美京平の有名曲が今でもすごい訳とは?時代を超えたヒットメーカー

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今年10月に惜しまれつつお亡くなりになられた、

筒美京平(つつみ きょうへい)さんと言うすごい

作曲家がおられた事は、あなたはご存知でしょうか?

 

「ブルー・ライトヨコハマ」や

「また逢う日まで」などの昭和を代表するヒット曲だけならず、

なんと国民的アニメの「サザエさん」の

オープニングとエンディングのテーマ曲も手掛けてらっしゃった、

私たちにとって実は非常に馴染みの深い人物でありました。

 

今回はこの作曲家、筒美京平さんについてまとめてみました。

 

筒美京平の生い立ちとは?

筒美京平さんは1948年に東京で生まれました。

 

本名は渡辺 栄吉(わたなべ えいきち)さんと言います。

青山学院大学中にジャズを好み、

卒業後は大手レコード会社で音楽プロデューサー

として働き数多くのヒット曲を作曲し世に送りだしてきました。

 

過去、

10回にわたり日本の作曲家別レコード売り上げ

年間1位を記録。

 

作曲作品が5年代連続でチャート1位を取得。

 

TOP10には6年代連続でチャートインする

とんでもない数のヒット曲を生み出してきました。

 

また、2003年には紫綬褒章を受賞されています。

 

筒美京平は若い頃からシャイな性格だった!

お名前を聞いても、

ご存知の方は少ないのではないでしょうか。

 

筒美京平さんは性格的にもあまり人前に出ることを好まず、

テレビやラジオにも出演することがほとんどなかったようです。

 

プロとして、

職人として裏方に徹すると言う

スタンスを貫いたと言われています。

 

しかし2005年には数十年ぶりにテレビ出演を果たします。

 

番組名はBSフジの音楽ドキュメンタリー番組

『HIT SONG MAKERS 〜栄光のJ-POP伝説〜』

この番組はその年の

日本年間放送連盟賞・テレビエンターテイメント番組部門で

最優秀賞を受賞しています。

 

これだけのヒット曲を生みながら、

自身は裏方に徹すると言う渋さは

本当にかっこいいですよね!

 

性格もシャイだったのでしょうか。

 

良い人柄がうかがえる話です。

 

筒美京平さんの有名曲が時代を超えて歌われる訳とは!?

・(1968年)「ブルー・ライト・ヨコハマ」 いしだあゆみ

・(1971年)「また逢う日まで」 尾崎紀世彦

・ (1972年) 「男の子女の子」  郷ひろみ

・(1975年)「木綿のハンカチーフ」 太田裕美

・(1978年)「飛んでイスタンブール」 庄野真代

・(1979年)「魅せられて」 ジュディ・オング

・(1979年)「セクシャルバイオレットNO.1」 桑名正博

・(1981年)「ギンギラギンにさり気なく」 近藤真彦

・(1981年)「センチメンタル・ジャーニー」 松本伊代

・(1985年)「Romanticが止まらない」 C―C―B

・(1985年)「なんてったってアイドル」 小泉今日子

・(1985年)「仮面舞踏会」 少年隊

・(1995年)「強い気持ち・強い愛/それはちょっと」 小沢健二

・(2003年)「AMBITIOUSJAPAN」 TOKIO

 

昭和後期に偏った気もしますが^^;

 

上げだしたらきりがないですが、

この曲まで!作曲されていたのかと驚くばかりです。

 

昭和歌謡から平成のJ―POPまで

本当に幅広く素晴らしい曲を作曲されています。

 

今もこの選曲を聞いていますが

どの曲も素晴らしく懐かしい気持ちに浸りながら

この記事を書いております。

 

特にセンチメンタル・ジャーニーはカセットテープに録音して

擦り切れるまで聞いた覚えがあります。

 

あなたはどの曲がお好きでしたでしょうか?

 

まだまだ名曲はこれだけではないので是非、

調べてみてください。

 

2時間はYouTubeから離れられなくなるでしょう。笑

 

まとめ

作曲家「筒美京平」についてまとめさせていただきました。

 

日本にはこんな素晴らしい作曲家が

いたと言うことを誇りに思いつつ、

今夜は「筒美京平」の世界観にどっぷり浸りたいと思います。