勤労感謝の日は日本の祝日の一つで、
毎年11月23日に決まっています。
もともとはその年の収穫に感謝して、
翌年の豊作を願う皇室の行事でしたが、
第二次世界大戦後のGHQによって
天皇と国民の行事が切り離され、
1948年に「勤労を尊び、生産を祝い、国民が感謝しあう日」として
祝日に制定されました。
辞書で調べると、「勤労」には報酬や見返りを伴う労働の他にも
精神的な面でもサービスも含め勤労とされているので、
勤労感謝の日には報酬や内容にかかわらず
労働に関するすべてに感謝する日と言えます。
ですから、家事や介護など家族間のことに関しても
感謝の気持ちをもって過ごせると良いですね。
勤労感謝の日は祝日なので、仕事が休みになる人も多いですが、
本来は勤労に関する感謝、
仕事や収穫があることへの感謝の日ですから、
普段よりいっそうより勤労に感謝しつつ、働いても良いはずですね。
でも、せっかくの祝日でもともとは収穫に感謝する日ですから、
秋のおいしいものをいただいて、
また明日からの勤労へのエネルギーの補給に充てる意味が
あるのかもしれませんね。
このように考えると祝日にもやはり意味があり、
勤労感謝の日は夏の疲れをいやして、秋の収穫を祝い、
おいしく収穫物をいただき、冬の厳しい時期に備え、
お正月を迎えるのだと考えると
やはり日本人の生活は季節とともに移ろい、季節とともにあるのだと
実感します。
勤労感謝の日は誰に感謝するの!?意外と知らないその由来とは!?
勤労感謝というと漠然としていていったい誰に対する感謝をする日なの
か?今一つ分かりづらいですね。
でも実は答えは簡単です。
お互いに、すべての人に感謝をする日なのです。
勤労感謝の日はとても日本らしい祝日と言えます。
日本人は元来、食をとても大切なものとして扱ってきた文化があります。
神や祭りでのお供え物が基本的に食べ物なのもそのためです。
農耕が生活の中心にあり、米を主食に生きる日本人にとって、
新嘗祭はとても重要であったことは当然と言え、
そのあとを引きついだ勤労感謝の日も、日本人にとっては重要であり、
自然な考えに基づいているのです。
また、蛇口をひねれば水が出てくるのも、スイッチを入れれば電気が付
くのも、目には見えなくても誰かの勤労がそこにはあるのです。
誰かが働いてくれているから、今自分の生活が成り立っているのだと
なかなか普段は意識しないものでしょう。
まずは身近な人への感謝からでも良いですし、
バスの運転手さん、電車の運転手さん、
会社のビルのお掃除をしてくれている方、
子供たちの安全のために横断歩道に立って誘導をしてくださって
いる方、一人ひとり、一つ一つの勤労の上に
私たちの普段の生活は成立していますから、
そういった方たちへの感謝の気持ちももちろん含まれます。
想像すらつかない仕事で、私たちの生活を支えてくれている人がどこかにいるのだと
思いをはせてみましょう。
むしろ感謝以外の気持ちはわかないのではないでしょうか。
そして、自分も誰かの役に立っているのだと、
自分自身のこともねぎらってあげましょう。
自分にも感謝してくれている人が目には見えなくても、
どこかにいるのだと思うと、
また頑張ろうという気持ちがわいてくるのではないでしょうか。
その先に、日本語独特の
「いただきます」「ごちそうさま」「もったいない」の精神につながる
のです。
そう考えるとあまり意識せずに過ごすただの祝日が、
なんだかとても奥の深い神聖なものにかんじられてくるから不思議です。
勤労感謝の日には別の呼び名があった!昔の呼び方とは?
勤労感謝の日というのは、前述の通り1948年に制定された日本の祝日です。
それまでも勤労感謝の日がなかったというわけではなく、
別の名前の皇室の行事だったのです。
勤労感謝の日はもともとは「新嘗祭」という皇室の行事で、
その年の収穫を喜び、感謝する意味があります。
歴史は長く、古いものだと飛鳥時代から行われているという説があります。
現在の皇室における行事の中でも最も重要な行事の一つで、
宮中だけでなく全国の神社でも行われています。
宮中行事の新嘗祭では天皇陛下自らがお育てになった新穀を奉り、
その新穀をお召し上がりになります。
なかなか皇室の宮中行事は一般の国民が目にする機会は少ないですが、
新嘗祭はテレビやニュースなどで取り上げられることもあるので、
見たことのある人もいるでしょう。
なお、新天皇が即位した年に初めて営まれる新嘗祭を大嘗祭といい、
盛大に行われます。
勤労感謝の日のまとめ
勤労感謝の日というと、どことなく毎日毎日会社で仕事をして疲れた人
に「ご苦労様です」というイメージが強いかもしれませんが、
実際には少し違いましたね。
もっと深く意味のある日本人の気質や文化に根付いたものであることが
分かりました。
だんだんと働き方や食に対する考え方も変わっていくのも当然ですが、
時にはこのように原点に立ち戻って「感謝」の気持ちを持つことで、
多くの人がすがすがしさや神聖な気持ちになるのではないでしょうか。